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高知城をつくる その27

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前回の更新から2か月が経ってしまいました。

前回更新した時は、年末にもう一度更新できるかなぁ、なんて思っていたのですが・・・
実は、年明けに出社して早々に米国出張に行くことになってしまい、月末ころまで日本に居ませんでした。
帰国後は通常業務に戻ったのですが、帰宅してもそれほど作業が進まずペースダウン。
一度、作業が止まってしまうとモチベーションが復帰するのに時間がかかってしまうのが悪い癖です。。

そんなわけで、ようやく一区切りしたので、ほっんと久しぶりの更新になります。

前回の続きになりますが、搦め手側の工作をしていました。
本丸の石垣下には本丸下門という門がありました。
私が確認できる数少ない往時を知る手がかりの「高知城の図」に門の名称が記載されています。
イメージ 1

残念ながら、現在は公園整備のための車両の通路上に位置していることもあり、痕跡さえも確認できません。
この地面の下に礎石が埋もれているのでしょうか?
イメージ 8

かつての本丸下門がどのような門だったのか。
「高知城の図」を見るとなんだか良くわからないですが、藥医門か、高麗門の様に見えます。
薬医門と高麗門とでは、形式で言ったら薬医門の方が古く、高麗門の方が新し形式の門になります。
高麗門は薬医門に対して死角が少なく防御に有利ということで近世城郭の多くに採用されている門ですが、高知城が築城されたころには既に存在していた門のはずですので普通に考えたら高麗門が正解です。
しかし、たまたま見ていた城関係の本に「宝永年間高知城絵図」と言うのを見つけ、そこに広島大学の三浦教授が高知城の古絵図の中で最も正確だと書いてあるのに気が付いたのです。
下が、「宝永年間高知城絵図」です。
イメージ 9

で、本丸下門はどうなっているかというと、・・・
櫓門に見えます。
しかも、黒鉄門と同じ意匠に見えます。
イメージ 11


庇の様なものも描いてあり、間違いなく黒鉄門と同じ。
イメージ 10

と、いうことで、もう一度黒鉄門を作ることになりました。
じゃなって、本丸下門です。
イメージ 3

本丸下門までの塀は上から見ても横から見ても曲線なので石垣との合わせが大変でした。
イメージ 2

で、取り付けるとこんな感じに。
イメージ 6

門の正面側。
石垣との間の処理に悩みましたが、板塀ということで処理しました。
イメージ 4

裏側。
イメージ 5

で、こんな状態です。
こちら側の建物類はほぼ終了です。
イメージ 7


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